瞑想と座禅の違い②

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瞑想と座禅の違い②

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2017/03/04 瞑想と座禅の違い②

ぽっちゃりな私が10年で18キロ痩せた、冷えとり先生ことたかやますみえです。

 

今回は更にマインドフルネスと言う知らない技法がありますが、それは次回に持ち越すとして、学べば学ぶほど奥が深くて、私自身も驚いています。

 

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では、学んだことをお伝えしますね。

 

ヨーガや瞑想やマインドフルネスといった言葉は、それが行為を指しているのか、状態を指しているか、何を指しているのかがわかりにくく、実際はっきりとは区別することが難しい場合もあります。

 

常にこの分類が当てはまるわけではないく、一応の目安として、行為か状態かで分類すれば、次のようになります。

 

行為がヨーガや坐禅やマインドフルネスで状態が瞑想となり、ヨーガや坐禅の技法のなかに、瞑想という状態がベースとなるそうです。ヨーガや坐禅やマインドフルネスは、何を目的としているのか?これを知ることで、それぞれの違いが鮮明となります。

 

最も本質的な違いは、特に、瞑想の方法に大差がなく、形式から区別することは難しいです。内面に目を向けなければ違いが見えてこないので、瞑想は行為ではなく状態です。

 

ヨーガの目的は、瞑想の末にあるディヤーナと呼ばれる精神状態にいたることで、究極的には、梵(宇宙)と我(自分)とが融合されるような瞑想状態と表現され、梵我一如とよばれます。

 

巷で流行しているヨガは座法や呼吸法に特化したものが多く、このような精神性を説かないことも多いようですが、座法や呼吸法は瞑想の深化のために存在します。精神性を過度に説かないのは、宗教的な要素を極力排除したいという思いが絡んだ結果であり、瞑想そのものには本来なんら宗教的な要素は存在しません。

 

瞑想とは心を整えようとする営みであり、それは誰の身にも日常的に起こり得る現象です。宇宙などというといかにも神のような存在に結びつきやすいですが(そのように説く人もいますが)、梵とは全存在という意味であり、有り体にいえば、大自然のことです。自然と自分とが一体になるような瞑想を目指しているくらいに受け取っておいたほういいかもしれません。

 

坐禅に目的は、坐禅をすること自体が目的であるといえるため、坐禅をした時点で目的は果たされています。「欲しい」「欲しくない」、「求める」「求めない」といった、相対的な世界から脱却することが禅であり坐禅であるため、目的はないと言わざるを得ません。目的が生まれた時点で、坐禅は坐禅ではなくなるという矛盾。禅において「無」が標榜されるのはそのためです。

 

仮に坐っていなくても禅という生き方をすることは可能なはずでで、実際禅では、坐禅を日常生活のなかに活かすことがもっとも重要だと考えられています。歩く坐禅、食べる坐禅、寝る坐禅、排泄する坐禅。日常生活のあらゆる場が修行の場となります。

 

それなのにあえて坐禅を重要視するのには、やはり理由がり、坐禅のように静かに身を整えるという方法を用い、心を整える上で最も効率がいいからです。
坐って禅を行なえなければ、歩くなかで禅を行うことは到底できません。

 

あらゆる行為のなかで最も容易なのが、坐って禅を行うことなので、坐禅が基本となっています。例えば、泳ぎ方をどれだけ言葉で説明しても泳げるようにはならないのと同じで、坐禅も行う以外には理解のしようがありません。

 

それを禅では不立文字(ふりゅうもんじ)という。文字を立てるな。文字で真実は伝えられない。真実は、人から教えてもらえるものではない。自分自身でなければ感得できない。頭ではなく体で理解することが大切で。何についても言えるやはり体験に勝る経験はないということです。

 

マインドフルネスの目的は、瞑想による効果を社会の諸分野に応用させること。具体的には、ストレスの緩和や集中力の増大によって、医療・心理・ビジネス・スポーツ・教育・福祉などのさまざまな分野でこれを有益に応用しようとする試みです。

 

ヨーガや坐禅のように、淡く掴み所のないものを目指しているのではないため、意図するところがはっきりとしていてわかりやすく、瞑想による諸効果を日常生活に活かす。目的がはっきりと定まっています。

 

補足として

 

物事を比較する上で気を付けなければならないのは、違いは必ずしも優劣ではないということです。ヨーガが深い瞑想で、マインドフルネスが浅い瞑想だから、ヨーガのほうが優れているかというと、そのようなことはないです。

 

比較することによってそれぞれの進む方向がどう異なっているかを知りたいのであって、どの方位が優れているかを知りたいのではないし、それはまた知り得ることもできません。北が優れていて、南が劣っている道理などないように、あっさり味とこってり味に優劣がないのと同じことです。

 

そこに優劣を見ようとするのは、我見によるものであって、それは結局思い込みや予断・偏見の類いでしかありません。違いはそれぞれの個性であって、どっちが優れているとか、どっちが劣っているかという話ではないのです。

 

生きる為に自分との対話が大切だなと思い知らされました。私もですがあなたも生きるのに試行錯誤しているかと思いますが、何せ生まれて初めての経験ばかりなので悩みます。そして、何を選んで生きていくのか失敗と成功の繰り返しです。例えばお料理一つにしても今回は成功したのに、次回は失敗したと日々同じ事をしても結果は一つとして同じではありません。

 

経験からしか感情は生まれないという事にも、気づきました。つまり行動しなければ何も生まれないということでもあり、心のモヤモヤはその葛藤や抵抗によって生まれるのかもしれません。少しずつモヤモヤした感情からクリーンな自分に向かうために冷静に瞑想なんかいいかもしれませんね。

 

正しく答えは自分の中にあるからです。

 

次回もまた、追求して書きたいと思います。

 

 

 

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